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8月8日は何の日?ソ連の宣戦布告

8月8日は何の日?ソ連の宣戦布告

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今日は何の日シリーズ、8月8日編です。

1945年の8月8日はソ連が満州に侵攻し、日本への宣戦布告を行った日です。

ただ、そのことだけでなく、前後の歴史も知っておくとよいので簡単にご紹介します。

1945年は日本にとっては終戦の年です。

特に8月は多くの日本人にとって忘れることのできない日が多いのではないでしょうか。

8月6日、広島に原爆投下。

8月9日、長崎に原爆投下。

8月15日、終戦。

このように8月6日~15日にかけて、日本人の多くにとって記憶に残っていることが起きています。それは学校の勉強で教えられたという理由もあるでしょう。

私自身、子供の頃の記憶としてあるのは、

「日本がアジアに悪いことをしたから原爆を落とされてしまったんだ。」

というものです。

アジアや全世界に対して迷惑をかけてしまった、その反省をするための日だったように、今振り返って思います。

そして、終戦直前に起きたのが8月8日のソ連による日本への宣戦布告でした。

終戦への影響

昭和天皇はソ連が満州に侵攻した8月8日、木戸・内大臣に対して次のように述べています。

「このような武器が使われるようになっては、もうこれ以上、戦争を続けることはできない。不可能である。有利な条件を得ようとして大切な時期を失してはならぬ。なるべく速やかに戦争を終結するよう努力せよ。このことを鈴木首相にも伝えよ」

「このような武器」というのは、8月6日に広島に落とされた原爆のことを指した発言です。ただ、この発言の18分前がソ連の満州侵攻であったことを考えると、原爆投下よりもソ連侵攻の方が影響は大きかったと思われます。

当時、日本は太平洋戦争で絶望的な戦況に追い込まれていました。東京大空襲で焼け野原にされ、さらに原爆まで落とされた日本にとって唯一の望みは、ソ連による和平仲介でした。

その準備を日本は行っていたのです。

ソ連の宣戦布告

1945年2月のヤルタ会談でソ連の対日参戦が密約され、1945年4月5日にソ連は、日ソ中立条約を延長しないと通告していました。それでも日本はソ連との交渉を続けていました。

8月8日午後5時モスクワにおいて、佐藤尚武・駐ソ大使は、ソ連のモロトフ外相と会談していました。モロトフはその場で、佐藤にこのような文書を手渡しています。

「日本武装兵力の無条件降伏を要求した今年7月26日の3国すなわちアメリカ合衆国、英国並に支那の要求は日本の拒否するところとなった。従って極東戦争に対する調停に関するソヴエート連邦に宛てられた日本政府の提案は一切の基礎を失った(中略)

以上に鑑みソヴエート政府は明日即ち8月9日よりソヴエート連邦が日本と戦争状態に入る旨宣言する」

日本への宣戦布告と取れる文面です。

和平条約を求めてきた日本にとって、ソ連から突き放された形でした。

佐藤大使とモロトフ会談から1時間後の8月9日未明、ソ連軍は、国境を越え満州の日本軍への攻撃を開始しました。そしてわずか10時間後、第2の原爆が長崎に投下されたのです。

広島への原爆投下、ソビエト参戦、長崎への原爆投下、これが決定打となり、日本政府はついに降伏に傾きます。

日本人にとって印象深いのは2発の原爆の方であり、日本という集団全体が大きな諦めを蓄積したのが1945年8月15日です。

その前段階で終戦を決定づけたのがソ連の宣戦布告にあったわけです。