あなたは人をほめていますか?

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「あなたは普段、人をほめていますか?」
「あなたは普段、人にほめられることがありますか?」
この質問を多くの学生や社会人にしてきました。そして多くの人の答えは「No」でした。普段、人をほめたりほめられるコミュニケーションが少ない人が多い印象を受けます。
私ももともと全然ほめる・ほめられるコミュニケーションはしていませんでした。そもそも「ほめるって何?」それほど概念にない行為でもありました。
アメリカの心理学者、マズローは人間の欲求を5段階に分けて表現しています。その中の第4階層に「承認欲求」があります。そういう意味でほめられたことによって人間の欲求が満たされる部分はあるのでしょう。
私の小さい頃の家庭環境では全くといってよいほど、両親からほめられたことがありませんでした。しかし、過去は現在の自分からの解析に過ぎないので、本当のところはわかりません。両親や周りの大人たちはもしかしたらほめていたつもりだったのかもしれません。しかし、ほめられたというイメージが全くといってないのです。
今振り返ると自己否定の塊でしたから、いくら周りから何を言われようが「ほめてもらえた!」と思えなかったのでしょう。
そもそも「ほめる」とはどういう意味なのでしょうか?
「カッコイイ服を着ているね。」「笑顔がステキだね。」このように見た目をほめることが「ほめる」ということでしょうか。
「いつも気が利くね。」「仕事が早いね!」このように行動をほめるのが「ほめる」ということでしょうか。
「自分はできないけど、それができるのがすごいね!」と相手と自分の間に格差をつくるのが「ほめる」ということでしょうか。
上に挙げたことは全て「ほめる」という行為には入っているかもしれませんし、入っていないかもしれません。つまり、受け取る側がどう感じるか?ということです。
本質的に「ほめる」というのは、「自分が在る」状態でほめることではないでしょう。それは主観的なほめとなります。もちろん、それでも相手は「ほめてくれた!」と思ってくれる可能性はあります。「自分が無い」状態から相手そのものになりきってほめるのが、ほめることだと思っています。
しかし、「自分が無い」状態をつくるのが難しいのが難しいです。それは「観点の問題」が自分を無くすことを妨げるからです。観点の問題についてはまた別の記事でご紹介します。
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