人の話が聞けない原因には究極の絶望があった
- 2021.07.13
- 人間

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AIを超えるGI創造者、よしじゅんです。
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
本日のテーマは「究極の絶望」です。
究極の地獄と聞くとどんなイメージでしょうか?
「怖そう」
「どういうこと?」
「絶望ってしないほうがいいですよね」
などなど、いろんな想像が働くかもしれません。
では、なぜ究極の絶望について話をするのか、その背景をお伝えします。
究極の絶望、それは人間一人一人の人生において、1分1秒たりとも、自分と同じ画面を共有したことがある人は一人たりともいないということです。
同じ家に住んでいて、仲がよさそうにしていたとしても、それは条件状況が整っているから、たまたま画面を共有できていると思っているだけで、ちょっとでも条件が変われば。。
そうはいっても、同じ画面をみてるじゃん、といいたくもなるでしょう。
しかし、自分以外の人が自分と全く同じ画面をみていると言える根拠ってあるんでしょうか?
視力も聴力も微妙に違う、体験・経験も違う。見ている角度も違う、身長が違うから目の位置も違う、これだけでも同じ画面を見ていないことがよくわかります。
「同じ画面をみている」ように思いやすい、これが罠の構造です。この罠の構造にはまった状態で、一生懸命に罠の外に出ようともがいている、これが人間の実情なんです。
相手の目になれない、相手の耳になれない、自分と分離した相手がいる時点で、相手そのものになることは不可能です。
これがとことんまで腑に落ちることによって、人間は初めて聞く耳を持つことができます。そうでないと、人間は人の話をきけないのです。
自分のATフィールド(絶対恐怖エリア)から1秒たりとも出たことがないんです。
究極の絶望がイメージできた時、人間は人の話を初めて真剣に聴こうと思うことができます。
究極の絶望についてもっと理解をしたい方はぜひこちらをご覧ください。
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