「nTechは宗教ですか?」に対する答え②

この記事を読むのに必要な時間は約 3 分です。
前回の記事はこちら。
今でもたまに聞かれる「nTechは宗教ですか?」に対する考察と、そこから生まれた私の夢について書きました。
今回はその続きからです。
「人間の団結を起こすための目標と計画」
宗教は一人一人バラバラで異なる判断基準をまとめるという意味では、大きな価値を持っています。
しかし、その一方で宗教同士が分かり合うことがなかなか難しい現状もあります。
では、宗教の限界を補うためには何が必要なのでしょうか。
それが
新しい共通土台を持った組織をつくること
です。
共通土台が、「神」、つまり信じたり、崇拝する対象ではなく、「理解する」対象となる必要があります。
その、「理解する」対象こそが新しい共通土台となりうるものです。
そのためには人間自身をどう思うのか?つまり「I am」の変化が必要不可欠となります。
今までの人類は「I am」が変化することなく、その後に続くV(何をするのか)、O(何のために)、C(どのように)ばかりを変化させようとしてきました。
しかし、その変化自体にもう限界がきているのです。
その象徴でもあるのが、人間代行者である人工知能(AI)の登場です。
人間は何をやるの?何のために存在しているの?と問いかけてくれるのがAIです。
「新しい共通土台創建に向けた毎日の活動」
私が、新しい共通土台の創建のために取り組んでいることがあります。
それが「Nippon Re・rise協会の設立」です。
別の表現を使うと、「Dignity Teal組織」と言います。
「Dignity = 尊厳」をベースとした、Teal(未来型)組織をつくる活動です。詳細はこちら。
「なぜ人間の団結を目指すようになったのか。」
そもそもなぜ私がNippon Re・rise協会をつくることによる、人間の団結を目指すようになったのか、それにはキッカケがありました。
それは
個人だけの限界に気づいたから。
です。
個人主義が蔓延したことにより、個人の自由や幸せという意味ではある程度満たされている感覚はありました。
しかし、それだけで満たされるほど、人間の欲求・欲望は生易しいものではありませんでした。
「個人の限界に気づいた背景にあったこと」
なぜ私が個人の限界に気づけたのでしょうか。
それは「自分=〇〇」という、〇〇の部分に当てはまる自己を認識できたからこそです。
自己を認識できるということは、〇〇の外に出たからこそ認識できるものです。
例えとして、1本の映画をイメージしてみてください。
映画館のスクリーンの中に登場する映画の主人公を演じている役者が、スクリーンから出て、役者の服も脱いでこそ、主人公を理解できます。
自分の外に出たからこそ、自分をみることができたわけです。
外に出てみて、初めて気づいたのは、いかに自分が超個人主義人間であり、自己不信、他者不信、人間不信を抱えていた人間だったのかということです。
その自分に気づくと同時に、新しい自分とも出会えました。
それこそが、「自分=〇〇」と規定するさえもできない、無限の可能性だったのです。
-
前の記事
「熱くなりたいけれど、熱くなれない」を突破できた3つの理由② 2018.12.06
-
次の記事
「非現実的なことをしたい」と、現実と非現実を分ける前にまず知ってほしいこと 2018.12.08
コメントを書く