当然を当然でないものに、当然でないものを当然に

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「当たり前」とは?
普段、口癖のように「当たり前じゃん!」と言葉にしたり、言葉にはしなくとも頭の中でその言葉が出てくることはないでしょうか。
人の行動や言葉を見たり聞いたりするとき、「何でそんな簡単なこともわからないの?そんなの”当たり前じゃん(笑)”」
どこか人をバカにするようなときに働く考えが「当たり前」です。
例えば、当たり前を疑う問い、その1つに
「何で人間を殺してはダメなの?」
があります。
子供のころから何となく大人から教えられてきたこともあり、何となく人間を殺してはダメだと思っている人は多いと思います。
でも、なぜそれが自分だけでなく、社会全体、世界全体で何となく当前化しているのでしょうか。
「人間を殺してはダメ」という価値観・考え方が時代によって変わらない普遍的なものというわけでもありません。
戦国時代など戦争が当たり前の時代であれば、敵をたくさん殺した人が英雄として扱われることもありました。
それが、今の日本では人を殺すことが犯罪となります。
どのように当然化したのか?
戦争は社会の無秩序を暴力という力によって秩序化するものでもあります。
今は暴力以外にも権力や財力によって秩序化できることが多いので、人を殺すという方法を使わなくてよくなっています。このことも、殺人が当たり前でなくなってきた1つの理由です。
戦国時代に当然でなかった、「洋服を着て靴を履いて出かける。」ということも当然になっています。
このように時代の変化によって、当然であったものが当然でなくなり、逆に当然でなかったものが当然となっていくのです。
ではそもそも「絶対的な当然」があったのでしょうか。いいえ、ありません。条件によって変化しただけです。
なぜ人を殺してはいけないのか?
人間と人間の殺し合いが終わらない一方、人間は科学技術を活用して、人間以外の部分をどんどん進化させ続けてきました。
その結果、人間がこれまでにやってきた多くを代行できるAI(人工知能)がつくられようとしています。
さらに、SFのような議論も起き始めています。
AIが全世界・全宇宙を正確に再現できるようになったとき、AIが神のようになるのではないか、そういうことです。
では、AIをつくったのは誰でしょう?
間違いなく人間ですね。AIが神になったとき、人間は神をつくった創造主であると言えるのではないでしょうか。
人間が神を創った創造主であり、神以上の存在であることを理解している人間からすると、人間を殺すなど、ありえないことです。
人間を殺してはダメな理由、それは
「人間は神以上に尊い存在であるから。」
です。
形としての殺人を減らすのではなく、殺人ができないような人間をどんどん増やしていくことにチャレンジしていきたいものです。
殺人を終わらせる技術は、すでに日本で完成しているのですから。
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