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疑う余地がない時に、初めて信じることができる

疑う余地がない時に、初めて信じることができる

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AIを超えるGI創造者、よしじゅんです。

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

今日のテーマは「疑うことと信じること」です。

あなたは疑い深いタイプですか?それとも信じやすいタイプですか?

私が令和哲学に出会う前は、疑い深いし、信じやすいなと思ってました。

疑う、と信じる、という話になったとき、何を疑うのか?何を信じるのか?を明確にする必要があると、今日の令和哲学カフェを通じて感じました。

日本語には「疑う余地がない」という言葉があります。これは、信じることと同義語のように使われています。

私が令和哲学と出会う前は、自分のことが信じられませんでした。

70点人間だと自分のことを思っていたので、何をほめられようが、受け入れられなかったし、他人のことも信じていなかったので人に頼ることもできませんでした。

結果的に人間不信を蓄積していたわけです。

令和哲学と出会って、実は自分の存在を疑うところまではいけないという、中途半端なところまで疑って、中途半端なところだけを信じていたことに気づきました。

部分的なことを疑っている間は、信じていることも部分的になってしまいます。

時間も空間も存在も、そして自分の存在が絶対的に実在していないことを疑っても疑っても疑いきれない境地へ到達したときに初めて信じることができるのです。

「疑う余地がない」という言葉は、疑うこと=信じること、を別の表現で言い表している言葉だなと思いました。

今の情報化社会では、信じることよりも疑うことの方に偏りがあるように感じます。

情報がありすぎてどれが本物かわからないからこそ、すべてを疑ってかかる、それ自体は悪いことではありません。

しかし、疑いすぎたとしても、最終的に自分の体がある、自分はこういう人間だ、というところを疑うところまではいけないことが自分を苦しめているのです。

すべてを疑う勇気を持ちましょう!

すべてを疑ってかかって、もう他に疑うことができないところまでいったときに初めてすべてを信じられます。