ブロガー殺害事件からみえる、アウトプットの深さの重要性

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ブロガー殺害事件について
人気ブロガーのHagexこと、インターネットセキュリティー会社社員・岡本顕一郎さんが殺害された事件が大きな波紋を呼んでいます。
これについては多くの人がブログとしてまとめています。この事件について私の意見を述べます。
なぜこのテーマなのか?
なぜこのテーマを選んだかというと、私が住む福岡でしかもイベントなどで馴染みのあるFukuoka Growth Nextで起きた事件であると同時に、
人間の本質に対する問いかけでもある。
そう思ったからです。
ネット社会になってから付き物でもあるのが「炎上」です。キングコング西野などよく炎上する人を揶揄して炎上芸人とも呼んだりしています。
インターネットでは最低限のIT知識さえあれば、誰でも情報発信することができます。子供であっても情報発信できます。
2ちゃんねるやHatenaブログではそれが故にもあり、ネット上でのイジメが横行してきました。掲示板やブログ上で誹謗中傷し合う光景を私もたまに見かけます。
アクションがあればリアクションがあるように、ネット上で発信したことに対して、いいリアクションもあればそうでないリアクションもあるでしょう。
ブロガーとして有名になっている人たちの中には、ネットの世界からリアルの世界へと進出し、セミナーなどを開催する人たちも出てきています。殺害されたhagexさんもネットからリアルへ進出した一人でもあります。
どのようなアウトプットが必要なのか?
私の観点からすれば、正直どうでもよいような情報であふれているのが2ちゃんねるやHatenaブログです。意味のない意見の衝突を繰り返し続けているようにみえます。
しかし、人間みんな観点はバラバラですから、彼ら彼女らには情報発信する上での背景もあることでしょう。
相対世界に、これが絶対正しいということは1つもありません。どの立場からみるか?によって正しさも変わってきます。
大事なことは
「どの深さからアウトプットするのか?」
これに尽きるでしょう。
- 流行に沿ったものしかアウトプットしないのか。
- 自分の利益になるからアウトプットするのか。
- これが正義だ!と誰もが思えることをアウトプットするのか。
- 本気さが多くの人たちに伝わるアウトプットをするのか。
- 個人の思い込みレベルでのアウトプットなのか。
- 100人ブログを読む人がいれば、100人が認める事実をアウトプットするのか。
自分の主張、正義、想いを一方的に書いてぶつけまくることはできたとしても、それによって傷つく人がいるということを想像できないのは問題です。殺害されたhagexさんがどうだったのか、それについて意見は述べませんが、少なくとも殺害される動機を被疑者に与えたことは事実です。
まさか自分が殺される運命にあると思っていたとは想像もしていなかったかもしれません。
それくらい、情報発信が当たり前にできるようになった反面、自分が発信することに対しての責任感も薄くなっているでしょう。
「広範な大衆の国民化は、生半可なやり方、いわゆる客観的見地を少々強調する程度のことでは達成されず、一定の目標を目指した、容赦ない、狂信的なまでに偏った態度によって成し遂げられるのだ」。
これはヒトラーの「我が闘争」の引用です。
極限間で偏った発信によって集団をつくることに成功した事例でもあります。
一番伝えたいこと
私が伝えたいことはシンプルに1つです。
真実を知った上でアウトプットしましょう。
ということです。
と言っても釈迦やイエスのような聖人になれということでも、苦行によって悟りなさい、ということでもありません。
Ninshiki Technologyという、科学的に悟りを伝達できる技術が既に日本で誕生しています。
これまでの古い悟りではなく、あらゆる分野と疎通交流が可能な21世紀の悟りです。
人間とは何なのか?
生きるとは何なのか?
多くの人達が人生の答え探しで人生のほとんどの時間を使っていることはもったいないことです。
これからは答えを知ることがゴールではなく、答えを応用活用する時代です。
人間同士が殺し殺される、このような悲劇をいつまで繰り返すのでしょうか。人間の尊厳が花開く社会の実現に向けて連帯する人と私は出会いたいです。
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