条件付きの認定欲求、そろそろ手放しませんか?

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人間には共通して持っている欲求があるとする説を唱えたのは、マズローさんです。
その中にあるのが「承認欲求」です。あなたは人から認められたと感じたとき、うれしいと思ったことはありませんか?もしくはあなたが周りの人を認めたとき、その人は喜んでくれますか?いくら人間関係が希薄な人であろうと、そのようなシーンを少なくとも一度や二度は見たことはあるのではないでしょうか。
私も小さい頃から双子として育ち、親からも先生からも認められない想いを蓄積していたのがあり、「人から認められたい!」と無意識レベルで思っていました。双子は常にカタワレとの比較されるので個人として見てくれなかったのです。
システムエンジニアとして働きだすと、仕事で認めてくれるのは上司か同僚、お客さんくらいです。仕事がうまくいけばねぎらってくれますし、うまくいかなければ怒られることもありました。
システムエンジニアとして働いていた時、人間としての認定欲求をかなり破壊された思い出があります。ある製品を開発して、その試作品をお客さんのところに持っていったときの話です。事前に想定していた通りの動作をしなかったことでお客さんからかなり強い否定をもらったのです。製品に対するダメ出しを強く受け、私は自分自身を否定されている感覚になりました。そのお客さんは製品がうまく動いていればおそらく私をほめてくれていたでしょう。
語弊を恐れずに言えば、お客さんにとって、私という人間は正直どうでもよいのです。お客さんにとってメリットを持つ存在かそうでないか、そこが重要なのでしょう。資本主義というものはときに残酷なものです。自分にとって利益になるかそうでないかで人も見てしまいます。
ビジネスというものはお金が絡むものでもあるので、当然かもしれませんが、人間よりはお金を中心に考えがちです。そのような状況の中で、本当に人間の可能性は花開くことはあるのか?そのような問いを自分自身に投げかけたことがありました。
メリットがあれば認定し、メリットがなければ認定しない、そういった条件・状況に依存した認定欲求に留まっていてよいのでしょうか。私は認識技術との出会いにより、条件・状況に依存しない認定欲求と出会いました。無条件自己絶対肯定、それを常に認識再現できる技術です。
上司やお客さんに認められて満足という、条件付きの認定欲求、そろそろ手放しませんか?
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