人生を生きる意味は何なのか?

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「人生を生きる意味は何なのか?」
この問い、多くの人が生まれてから少なくとも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。
お母さんのお腹の中から外に出たとき、人間には自我がありません。自分が何者なのか、それを考えることすらできない状態で生まれてきます。
成長するにしたがって自我を持つようになり、考えることもできるようになります。
ですから、人間共通に
自分はいったいどこからやってきたのか、そしてどこへ向かっているのか?
この問いに対して答えることができないのです。
既に弓から放たれた矢の上で目を覚まし(人間の誕生)、自分がどこから来たのかもわからず、どこに向かおうとしているのかもわからず、ただ矢の上に乗っていることしかわからない、それが人間共通の現在地です。
人間共通の悩み
この人間共通の現在地からくる悩み、それは
「生きる意味がわからない。」
「仕事をする意味がわからない。」
でしょう。
しかし、こういった本質的疑問に対して答えを出すことを諦めているため、
「仕事終わりのビールを飲むため。」
「遊ぶため。」
「生きるためにお金が必要だから。」
と言った、日常に沿った答えを出すのです。
しかし、これらの答えは本音ではないはずです。
本音は、自分が何のために生まれ、何のために生きるのかを知りたいのです。
クライアントと話している中でも、本質的な話をしている内に、生きる意味を考えることがある人はとても多いです。
しかし、日常の中でそういった話をしているかと聞くと、していない人が大半です。
現代人は忙しいため、なかなかそういった問いと真剣に向き合う時間を取らないのでしょう。
ですから、本質とかけ離れた現実を当たり前と思って、その中でどうにか生きようとします。
「生きる意味がわからない。」
この悩み不安はどこからくるというと、死ぬことへの恐怖からくるのです。
生老病死の壁
生老病死という仏教の言葉があります。
これは人間の4つの苦しみとして、
生きること
老いること
病気になること
死ぬこと
があるというものです。
特に生きることに苦しむのは、死ぬことに苦しむということとも密接に関係しています。
死にたくないから生きるという、因果につかまれていては本当の意味で生きるとは言えないでしょう。
この生老病死から自由になれなければ、どんどん虚無主義に陥っていきます。
しかし、この悩みを本質的に解決する方法を、例えば科学技術が提供してくれるでしょうか。答えはNoです。
生老病死から自由になるためには
生老病死から自由になるためには、生きることと死ぬことの因果関係から自由になる必要があります。
そのためには「生きること」と「死ぬこと」が今ここで同時に認識できなければなりません。
しかし、この同時に認識するというのが、これまでは不可能だったのです。
それは人間の脳機能に原因があります。こちらの動画をみていただくとイメージが湧くと思います。
今ここに生と死が同時に認識できること、それは
「生きたままで死ぬこと」
と同じ意味でもあります。
生きることと死ぬことを同時認識するためには、脳機能の限界を補う、新しい認識方式を身につける必要があります。
生老病死の不安を解消し、本当の生きる意味価値と出会いたい方、ぜひお問い合わせください。
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