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なぜ目でみることが悲惨・残酷・屈辱なのか

なぜ目でみることが悲惨・残酷・屈辱なのか

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AIを超えるGI創造者、よしじゅんです。

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

今日の記事は「なぜ目でみることが悲惨・残酷・屈辱なのか」というテーマです。

「目でみることが何で悲惨?」

「目でみるなんて誰でもやってるやん」

そのように思う方がほとんどでしょう。

実はここに盲点があったのです。

目でみることがどういうことでしょうか。それが

「あなたが目で見ている画面、これまでの人生で目で見てきた画面」と、全く同じ画面を見たことがある人は宇宙の中に誰もいない、ということです。

仲がよい兄弟だろうと、恋人だろうと、両親だろうと、実は誰とも同じ画面を共有したことがないんです!

そしてそれはあなただけでなく、人類700万年間、全人類70億人共通に当てはまることです。

人生において誰とも同じ画面を共有したことがないのにも関わらず!自分のことをわかってほしい、理解してほしい、と期待すること自体が大間違い!

耳が聞こえない人にオーケストラがいかに素晴らしく、感動で、価値があるものなのか、いくら話しても理解してもらうのは難しいでしょう。

それと似たようなことが、自分のことをわかってほしい、と期待することです。

まずはとことん、目で見ることに対して絶望することです。その絶望が深まれば深まるほど、体の目、体の自分を手放しやすくなります。

まずは、なぜ今の時代に哲学が必要なのか?それを考えるところから始めましょう。目でみることに代わる、新しい哲学の必要性がみえてきます。