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【令和哲学カフェ】肉体がない魂の存在は実在可能なのか

【令和哲学カフェ】肉体がない魂の存在は実在可能なのか

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AIを超えるGI創造者、よしじゅんです。

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

今日のテーマは「肉体のない魂の存在は実在可能なのか」です。

令和哲学と出会う前は「魂」などという言葉には全く関心がありませんでした。

「大和魂」と言う言葉に対してもどこか拒否反応を持っていました。

かつて日本が天皇を中心として、全体主義で団結してアメリカと戦い、そして負けたことに対するトラウマがあるからだと思います。大和魂=全体主義、のイメージを持っていました。

教師をしていた親からはずっと「日本が戦争で悪いことをしたからアメリカに原爆を落とされた。」という話を聞いていましたし、本当にそうだと思っていました。

教育やメディアの影響で、日本が悪いことをしたと思い込んでいる日本人はとても多いです。

しかし、明治維新を起こした侍たちはどうだったんでしょうか?

そんな思い込みをしていたら、とても明治維新など起こせていないでしょう。

どうやって日本を目覚めさせるのか?それを考えていたのではないでしょうか。

当時の日本人と今の日本人とのギャップ、これが令和哲学、Noh先生と出会って整理されたことです。

「今の日本人はサムライじゃない。」

こう、Noh先生は言い切ります。

明治維新の成功が何だったのか、失敗が何だったのか。私はそれをよく理解していませんでした。

今ではよく理解できます。

昨日11月3日の令和哲学カフェで紹介された、吉田松陰の辞世の句はこちらです。

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」吉田松陰

一般的な意味はこちらです。

身はたとえ、武蔵の野辺で朽ち果てようが、大和魂だけは朽ちさせることなく、留め置いておこう。
正しいと信じた事は、死を覚悟してでも断固としてやらずにはおれない。これが日本人の魂であり、この意志と覚悟を忘れずに持ち続けよう。どのような困難が待ち受けていても、成し遂げる気迫。周りから何と言われようが、やる
と決めたらやる。阿保になってこそ志が成就し誠意が天に通じる。

引用:身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

吉田松陰は、大和魂とは何かを明確に伝達することができず、志半ばで亡くなっていきました。

その意志は弟子たちに引き継がれ、明治維新が起きましたが、西洋を受けいれたところで限界に来ています。個人主義を突き詰めた結果が今の西洋であり、日本の現状です。明治維新の限界を補うのが令和維新が必要な時に来ています。

明治維新を陰謀論で解析する人もいますが、その解析がこれからの日本にとってどんないいことがあるんだろう?と不思議に思います。

今の日本人にとってのエネルギーとなるような解析、それが日本が集団としてどんな勝負をしてきて、これからの勝負が何なのか、とつながった解析をすることです。

大和魂とは何かを教育を通して伝えていくことのできる令和哲学との出会いに改めて感謝する昨日の令和哲学カフェでした。